12月5日 午後2時40分 早稲田の学部一年生向けの設計演習Aにて『笑いはどこから来るのか」という実験をおこなう。学生課題の
「役に立たない機械」を5台用いる。
「…驚きと美と笑いは共通する性格を持っています。それは明確な目的の連関(因果律)からは決して生まれないということです。今回は5台の厳選された「役に立たない機械」を動かしてみて、それがどこから来るかを確認しましょう。」
やはり役に立たないものから笑いや驚きが起きる。それにしても大学の一年生がまだこんなに役立たずの物を作れることに驚く。
同日 午後6時より石川初氏、元永二朗氏を迎えて
『スクラッチ・ザ・アーバンランド』の講演会。頭が柔らかいうちにGPSやら宇宙人的思考をすり込んでしまおうという企画。主催側が言うべきではないが大成功でした。お二方の見事なプレゼンテーションに対しての学生のノリがかなりいい。笑うべきところで笑い、くだらない質問を堂々と述べる。
元永氏の「風景スキャン」の新作(というか秘蔵作)が公開され、その偶然の人の形に場内騒然。元永氏はこれは「アート」ではない。「アートって今言ったらそれで終わってしまう」という言葉に状況への的確な判断があった。歴史工学家としてその「エンジニア」ぶりに最大の共感。
石川初氏はこれまでのネタを惜しみなく公開しつつ、
福沢諭吉ヴァージョンに対抗する新作「大隈重信は何を見ているかヴァージョン」を発表。これまた場内にため息が洩れる。石川氏はいろいろな位相をトランスフォームさせることの天才だけれど、その基準に大地(いや、正確に言うと大地の波形)がある。建築学科の思考過程の最終到達点のひとつとしての「コミュニティ」さえ、その波形の反映なのだ。講演が終わったら三人ぐらいの学生がGPSの購入先を聞きにきた。いいよいいよ!学生。
12月6日 午後6時半 少し遅れて
講演会『クシシュトフ・ヴォディチコ』at芸大に赴く。場内立ち見。建築物への投影プロジェクトでは政治的あるいは人権的コンテクストを扱いながらもそれを飛び越えて驚きが笑いに、悲しみが喜びに転化する。ユーモアがそのジャンプを助けている。素直にいいと思う。ディス・アーマー(反武装器)という「役に立たない機械」を装着した彼女が流す涙が美しい。
初期のスモール・デバイスによるマイノリティーのためのコミュニケーションの道具造りと、この10年ぐらいの建物へのイメージの投影による意味の転用プロジェクトという彼の作品の系譜は、両者がなんとも断絶している感じがしていたのだけれど、ちゃんと応えていた。要はラテン語源つながりで、face→surface→facadeで建物にもジャンプしたとのこと。このアナロジーの機敏さは尊敬に値する。見えない因果律とでも言おうか。
質問では、それをもとのコンテクストに戻して語ろうとする意見が相次いだので、つい頭の後から押されてそうではないと質問してしまう。驚きや美や笑いの瞬間を「正しい」コンテクストに戻そうとする方々は地○に堕ちよ(というか堕ちているが)と言いたい。ふと見ると早稲田の学生が結構たくさん。チラシ配ったから来たみたい。いいよいいよ。
この三つの体験を通して体得したことは、高みに上らず、地に墮ちずということだ。それを支えるのがユーモアというエーテルなのだろう。
5日の講演会では、石川さん、元永さん、そして後援の日本生活学会に感謝します。あーおもしろかった。