INAXより『10+1』No.46号が届く。ずっと心待ちにしていた。
今和次郎の『日本の民家』瀝青会の甲州街道調査の記録と考察が今回の主筆・
石川初、撮影・
大高隆によって公開されるからだ。ドラフトを拝見して以来、石川氏特有のスピード感ある描写が迫力で、大高氏の写真や石川氏による図版と組み合わされたらどんなものになるだろうと期待していた。結果、期待を裏切らず、素晴らしいものとなっている。特に場面展開の見事さは当方も見習おうと思った。考察的にもこれまでにない瀝青会特有の「今さん」像(ご一読いただくと分かる)が現れてきて、貴重だと思う。
で次にどんなシンクロが、冒頭の
田中純氏との論文の間で起こっているか。これもまた当方のセヴェラルネス連載以来の楽しみである。気持ち悪いと言われても仕方がないが、それぞれの論は鏡像関係にあると僕は思っている。
田中氏が今回取り上げたのは、なんと民俗学者の宮本常一、それも彼の写真に関してではないか(瀝青会の四国調査の時にも宮本の写真帳をひそかにかばんに入れていたのだ)。
それも佐々木正人によるさらに展開されたアフォーダンス理論を伴っている。『セヴェラルネス』ではアフォーダンス理論のみにおける人間の想像過程の理解を批判したが、田中氏の論において展開されているのが人間体験における「都市の生態的ニッチ」。これはアフォーダンス+ダーゥイン理論の都市と人間の関係への拡張ともいうべきものだが大いに刺激的だ(以前に行った
千年持続学フォーラム・都市の血肉シリーズで現わすべきはこれだったのかもしれない。)。それが宮本による、安易な感情移入を許さない、接触的な写真の撮影方法を通じてあらわにされる。
瀝青会それぞれの写真の撮り方としても示唆的である。以下引用。
「旅する人宮本常一にとって、写真の撮影とは絶えざる通過、すなわち絶え間ないパサージュの産物だった。その膨大なイメージの蓄積をわかりやすい物語に還元してしまうことなく、この観察し続ける旅人の移動の速度とリズムが、遺された写真のシークエンスの中にたどられなければならない。【中略】
宮本の写真そのものが景観なのだ、と言い切ってしまおう。」
田中純 方法の生態学 都市表彰分析28 同誌より
これから卒業式、いささか飛ばし気味であるが、いったん筆をおく。後からいろいろとリンクしよう(しました)。これから瀝青会には東班と西班ができる。
皆様、良い春をお迎えください。