昔々、10年以上も前、当方のトラウマになったというか、方向性を急展開せざるを得なくなった建築家・石山修武氏からの一言がありました。氏はもう全然忘れているでしょうが。いわく、
「お前、歴史も使えなきゃダメよ」と言われたのです。
その端的な言葉は、当方の研究作業の性質を変えてしまう力を持ってしまいました。この言葉は様々なレベルで感じ取ることが出来ます。その言葉を聞いたのは当方が明治時代の建築界の観念論の布置を再構成しようと思っていた時、そのどん詰まりにあって、彼の言葉は彼が思う以上に当方に大きな意味をもたらしたのでした。当方は博士論文のテーマを急展開させました。
つまり歴史学というのは何かを確定する作業であるにもかかわらず、その作業が将来へと通じる「転用される質」をも供えていなくてはお話にならないと思ったのでした。それが「使える」という言葉の核心ではないだろうか。それ以来当方は自分の作業が未来の時間に対して幾許かでも「使っていただける」ことを念頭に行動してきたつもりです。そのとき通常は観念論の範疇に入れられる作業であっても、それはしっかり他者へと影響を及ぼします。
さて前置きが長くなりましたが、今回の
『10+1』No.42 特集グラウンディングは当方が寄稿しているいないにかかわらず、そういう優秀な使える書物の完成だと思います。
まずは特集とは別ですが、田中純氏の「犬の街」。最近、ちょっと短めだなと思っていたのですが、今回の冴えはすばらしい。パサージュをゲートへ、ゲートを通過儀礼へ、通過後に至る未知の時空間と森山大道の写真についてという流れ。つまり著者は、定義をなし、しかしそれを止めることなく、奥深い連想へと私たちを引きずり込みます。自らを使い倒せる勇気と力量、これを感じるとき人は心動かされるのだと思います。すぐれた論は一つの論で自らを2、3回転用しているというのが当方の持論です。ちなみに田中氏があげた三つの門の写真は、《ことの次第》によっては当方の論考であげた三つの門ともシンクロできそうです。気持ちがよい。
そして特集ですが、まずはテクニカルな面でキチンとカラーページの使い方が効果的であった今回のような編集は実はなかなかないのではないのではしょうか。すんごい乱暴に言うと(それはまだ僕がまだ今回の諸論をきちんと読みこなせていないことに起因しているのですが)、地図と言う本来は持つことのできない「鳥の目」と街を徘徊する別次元の目を、現在のテクノロジーでかなりの精度で容易に入手し、それを様々な命題の立て方によって解析化できるようになった現状(僕もKashimir3Dという話題のソフトを手に入れんがためにウインドウズ環境も手に入れました)にたいして、素直に、実直にその使い方の可能性と効用を示唆している点がとてもいいのです。
いずれにせよこれらは
アンドレ・ルロワ・グーランが以前に提起した「鳥的視点」と「狼的視点」という旧来のパラダイムに端を発していますが、そこまででとまらずに、ここまでできる、まだできると手法を開示してくれた点はありがたい。早速盗みます。
ここでもいろいろ盗めます。→
石川初さんのブログ
たとえば昔、今和次郎が『日本の民家』という本で、単に民家の紹介のみならず、その民家を成立させている一つの敷地全体の図を挙げていました。当方はこういう方面での民家研究はその後ほとんど顧慮されなかったと思います。しかしひとつの家はそのような関係性のネットワークから現れてきたある徴です(今和次郎はそれを当時地理学者から教わったのです!)。その徴の背景の関係性を現在のテクノロジーを用いて再び可視化できるような作業を当方は行ってみたい。なぜなら今和次郎がその絵を書いた88年前になした作業が、僕にとって「使える」一つのイメージになったこと。この事実を根拠として、次は自分たちの世代が未知の88年後に対しての作業を行うべきだと思っているからです。
やや長文かつ取り急ぎの感想でしたが、また何か気づいたら書きたいと思います。