忘れないうちに、世の中との共同作業をきちんとまとめておくページ
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中谷礼仁

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NAKATANI Norihito from 2004.
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現場で見たこと、学んだこと, 1997

中谷礼仁(建築史家)


● 半年で経験なんて、と思うけれども
僕は現在の研究の途に着く前に、まる三年、とある大手総合請負建設業、いわゆるゼネコンの設計部に勤務していた。いや、前というよりは、ゼネコン、あるいはそこで少しだけ体験させてもらった現場が、僕を建築史研究の道に引きずりこんだ源泉の一つなのである。そこから色々なことを考えはじめたわけである。
そのゼネコンには新入社員に対して半年の現場研修が義務づけられていた。これが僕にとっては会社を選定するにあたっての大きな魅力になっていた。もちろん、設計の作業にまず興味があった。だが建築を成立させている生産の場を包括的に理解するには、設計のみならず、現場にも直接的に入ってみることが必要に思えた。半年で経験なんて甘い考えだとは思うが、その想いには抗しがたい魅力があったのである。
それでは僕が現場から一体どのようなことを学んだのだろう。

●囲みでしきられた空間
まず現場には囲いが付き物である。その機能上の名目は色々あろうが、僕にとってそれは、現実世界と現場とをいったん仕切る結界のように思われた。
その結界の存在は、世界が一様の時間軸で流れてはいないことを教えてくれた。例えばコンクリートによって作られた建築は、はるかローマ帝国の時代から存在する。僕が配属された現場は鉄筋コンクリート造の新築マンションであった。現在の鉄筋コンクリート造も、その作り方の性格は古代とほとんど変わらないであろうと、その現場の中で初めて実感したのである。
コンクリートをうまく打設するためには現場が一丸となって対処する必要がある。現場打ち当日は独特のはりつめた空気から始まる。 監督から発せられたつるの一声によって、ポンプ工がミキサーからくり出されるセメン卜を、ぶちまける。その打設管は大蛇の腹のようにのたうっていて、うっかりしていると足をとられてしまう。待ち構えていた土工たちがいっせいにヴァイブレーターを型枠に突っ込む。型枠の中に落ちていたジュース缶を、大慌てで救出する。セメントはどくどくと流れ込む。その階下では、ラチェットを腰にさした職人達が、セメントの重さできしむ支保工の鎖を締め直す。僕はといえばその横で、型枠と型枠との隙間から、時折吹き出そうとする生温かいセメン卜を食い止めるために、リネンを持ちつつ格闘中である。発熱したセメントの海の下で、僕は丁度Uボー卜のボイラー室に閉じ込められたような心境である。それらはいわば劇、それも古代劇、あるいは黒沢映画のような一体的空間である。この高度に統卒された劇を成立させうるのは、現実とは異なった時間、空間のみである。建築物が竣工し、建物は現場の手を離れる。すると途端に現実の空気が入り込んでくる。すでにあの結界の中の劇を見ることはできない。つまり現実の建築の姿は、その建築の全体的な過程のほんの氷山の一角なのである。設計もそうだけれども、歴史はこのような過程の全体を魅力的に描き出すことが必要とされているのだと思う。

●様々な顔、身体との出会い
人間、似たような環境にいると概して顔や体形も似てくるものだ。常日頃、あいつとおれとは違うと思っていても、同じような組織間での差は本当に微細なものである。僕のまわりはだいたいやさ男タイプで占められている。これが特異な事態であることに気づかせてくれたのも現場である。
僕は現場で、近世の職人絵尽くしにでてくるような無駄のない身体を本当に見た。上下を逆にしても成り立つだまし絵のような滑稽な顔も見た。日本人の顔や体つき自体が画一的なのでは実はない。それはむしろ特定の社会的教育によって成立するのである。とりわけ印象に残っているのは、コンクリートの金コテおさえを専門とする沖縄出身の職人のことである。
「コンクリート金コテおさえ」、設計者はベーシックな床仕様をそのように記入する。後でモルタル補修をする手間を省くために、コンクリート打設直後にコテおさえをしてしまう技術である。設計図面上は実に普通の仕様なのであるが、実はかなり特化された技術である。現場の上司から聞いた話のみでウラをとってはいないけれど、この技術は沖縄の在留米軍基地に関わる建設作業を通して日本に伝わったらしい。沖縄の出身者が多いのもそのせいであろう。
コンクリートが打設しおわった晩に彼の作業が始まった。車の中で一日中待機していたその職人は、すでに準備を整えた。その姿は形容しがたいものである。足下にひろがるうちわのような靴は、セメント上の体重の分散を図るためのものである。そして大型の金コテが両手に装備されている。彼は注意ぶかくほやほやのセメントの上に着地すると、ゆっくりと体を前に傾けた。両手両足を着地させた瞬間、シューッという音とともに、彼は勢いよくセメントの海を泳いでいった。月光に照らされる中、彼はそのアメンボのような無駄のない動きでもって、見ほれる僕の眼前から遠く離れていったのである。

現場研修が終わり、その後も、僕は設計部社員の若手として色々な現場の人たちと作業をする機会を持てた。しかしながら研修の時のような、現場との直接的なつながりを感じることはすでにできなくなっていた。


- 2004年06月25日 - 戻る -
注目の告知
●鹿島出版会から拙著『セヴェラルネス 事物連鎖と人間』が公刊されました。表紙装丁を、岡崎乾二郎さんにご担当いただきました。綺麗です。ぜひ公刊の際はお手に取っていただければ。序文は田中純先生です。

セヴェラルネス


「批評の真髄はどこにあるのか。歴史と理論を踏まえつつ、徹底的に現状を分析すること、必要とあれば時空や知の領域を自由に行来しながら、広い意味でのコンテクストを明らかにしてみせること、そこにこそ批評の意義は求められるべきであろう。建築の分野でそのことをわたしたちに教えてくれたのは、そのあまりにも早い死が惜しまれる「ヴェネツィア派」の論客、マンフレード・タフーリであった。そして、中谷礼仁の本書が幸運にもまた、あらためてそのことをわたしたちに気づかせてくれた。
岡田温司未來社『未来』2006年7月号

注意深く、丹念に書かれた文章ながら、なんかこう、新鮮で生き生きとして見えるのは、おそらく著者自身の「驚き」を伴っているからだろう。また、本書全体に通底している、著者の「連鎖する事物」への(中略)畏敬の念には心を打たれる。自覚的に何かを作ることを志しているつもりの、私たちの多くに欠落しているのは、すでにある事物へのこうした態度なのだった。」
石川初TENPLUSONE WEBSITE

「現在の建築論や都市論には関係者の当を得た解説が少なくないが、どうしてもここから先は当事者や専門家にまかせざるを得ない、という部分が残る。これらの書物は、たとえ子供向けに書かれたものでも、それゆえに難解なのだ。「強い」専門性の石を砕く「弱い」実際的思考に貫かれた本書は、だから分かりやすくなによりもおもしろい。
植田実雑誌『文学界』2006年7月号

「本書は、事物—つねに痕跡でしかない事物—に向かい合ったとき、言葉でなにをなしうるかを改めて教えてくれる書物でもある。本書と前後して邦訳が刊行されたエイドリアン・フォーティーの『言葉と建築—語彙体系としてのモダニズム』はちょうどこの、建築について語るということはなにをしていることになるのかという古くてつねに新しい問題を扱っているが、中谷氏の書物はまさにその問いに対するいくつかの回答を示したものである。」
山本貴光作品メモランダム

未來社『未来』2006年7月号に岡田温司さんによる共感あふれる書評をいただきました。(20060703)
TENPLUSONE WEBSITEにランドスケープ・デザイナー石川初さんによる書評が掲載されました。深い読みを自分の体験にも照らし合わせて書いていただきました。 (20060627)
雑誌『文学界』2006年7月号に植田実さんによる書評が掲載されました。次第次第に社会に理解されていただいているようでうれしいです。 (20060608)
作品メモランダムの山本貴光さんに的確かつ連鎖的な評をいただきました。 (20060216)

また口絵にはセヴェラルネスの思想を端的にかつ寓意的に語る歴史的な豪華写真群を掲載しています。60年代の幻の写真同人誌 『PROVOKE』 に掲載された高梨豊さんによる”あの写真”も、収録しました。高梨さんご本人によって注意深く選定された新プリントを大変な好意で借用させていただきました。ぜひご覧ください。




連載中
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●ワンダリング・セブンティーズ(新建築社『住宅特集』)→途中で終わり

●『日本の民家』再訪(瀝青会名義/季刊『住む。』
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過去のアーカイブ(より抜き)
2004年以降のものはmoduleに投稿しています。出来のいいものは掲載していただいております。

お台場公園の攻防 1995
すまいの先生 2001
現場日記 1997
バブル・震災・オウム教 1995
旧満州国の伊東忠太 1996
平内廷臣はいかにして日本建築を終わらせたか
1998
ステンレスのバケツ
1999
住まいは誰のものか
2001
内田百間「東京日記」論 1996
戦後建築史学の射程と現代建築史研究会研究の早急なる必要性
2001
亀裂の保存 中村達太郎『日本建築辞彙』を読む
2000
歴史の中のコンバージョン
2002
空飛ぶアーカイブ
2002
都市は連鎖する
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デ・レ・メタリカ(金属について) 2004
宇宙人とバラック 2004
歴史の合成に関するノート 2004
おれにやらせてくれ、ビリー  ガーデン・パーティーの奇跡(ビリー・クルーヴァー論) 2004
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建築雑誌2010・7月号 No.1606『建築写真小史』届く
あまりにも緊急告知・滅多にない書容設計家 羽良多平吉の会/開催のお知らせ(有料)
緊急告知・日本建築学会会誌『建築雑誌』10月号 公開座談会―斎藤公男×中川 武×藤森照信
建築雑誌2010・6月号 No.1605『われらの庭園』届く
建築雑誌2010・5月号 1604『特集 BOSAI立国ニッポン』届く
講演会のお知らせ・Note on "fig-ness" of architecture, イチジクの葉っぱ建築論ノート・5月20日千葉大学にて
建築雑誌2010・4月号 1603『特集 〈郊外〉でくくるな』届く
瀝青会報告第八回・雪に埋もれる山の村の家その後・雑誌『住む』No.33
日本生活学会 第37回総会・シンポジウム・研究発表大会のお知らせ・2010年5月8日(土)
建築雑誌2010・3月号『ナイーブ・アーキテクチャー』届く
建築雑誌2010・2月号 1600記念号『特集 建築・有象無象』届く
設計演習A「役に立たない機械」『タモリ倶楽部』に登場しました。
建築雑誌2010・一月号『特集 検証・三菱一號館再現』届く
今和次郎のバラック写真集成『グラフィカ』No.3
瀝青会報告・浜辺のブリコラージュ(越後の舟小屋)
監修・『住宅建築』2010年1月号・白井晟一を探して -Constellation-
新連載・「イチジクの葉っぱ建築論」・雑誌『d/sign』No.17 デザインと編集力
論文・「ナンドの生産性−化モノ空間のための補遺」
中谷ゼミナールのポータルサイト、デザイン一新しました。
3年後ものこっていた・韓国ソウルの北村のゲストハウスの思い出・2009年9月27日
その他
中谷略歴
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