書評を一つ公開させていただきます。村野藤吾が発した有名な1パーセントの領分についての、新見解も含まれています。
1パーセントについて 『村野藤吾著作集』
中谷礼仁
この書物はある編集者の求めに応じて、建築家・故村野藤吾が十年にわたる検討と逡巡の後におくり放った爆弾である。
平成三年に公刊されたが版元の閉鎖により長い間入手困難であった。しかし今回の復刊によって、むしろ今こそ、その真の価値が多くの人々に開示されることになるだろう。
風化は、人の立場を否応なく変える。特に職人的手技を持った巨匠であれば、そこにはなおさら全人的な完全さが加えられ、逆に生前の、血のかよう人間としての苦渋や格闘の痕跡は波に現れるかのごとく消え去っていく。しかし村野はこの書物を公にすることで、それを許さなかったと感じる。
例えば村野の言として「99%は施主、1%は自分」という逸話が伝えられている。その本来の意はこの書物にもっとも正確な形で収録されている。短い書評ではあるが紹介せずにはおれない。
「私がよくいう言葉ですが、九九パーセントのところまで、それでみんな出てくる。(九九パーセントまでは建築家は謙虚に後に引いて聞く)。そこまでは理屈でいえるわけです。つまり二二が四のように割り切れることなわけです。何たって社会は「数」ですから、みんな「数」にかかわっているわけだから割り切れる。「数」の中へ入ったら、弁証法というものがあるわけです。それからいろんな問題、矛盾だとかの問題があって社会は動いていく。ところが(九九パーセント引いても)一パーセントは残る。それが村野です。私はいつもそういうんです
村野自身でさえどうすることもできない一パーセントなんです、これは。いくら理屈をいったって村野に頼んだ以上、村野をどうすることもできないでしょう?」「社会的芸術としての建築をつくるために」(強調部は引用者による)
後半が重要である。「一パーセント」は操作可能な彼の芸術的手腕のことをさしているのではないからだ。「村野自身でさえどうすることもできない」村野がいることをさしているのだ。つまりこの1パーセントとしての「村野」は、彼がかかわる建設行為全体に対する他者的な立場が、彼の中に存在することを指摘している。これは、彼の建設行為全体に対する絶対批評的な点、「1」なのである。
でなければ、その後に続く「その一パーセントが、ときによっては建築の全体を支配することができるかもしれない」という言葉は、単なる「作家」のうぬぼれにすぎなくなってしまう。それは事実とは違う。言葉はさらに続く。その「1」によって、「建築はもう一つの新しい局面を迎える」と。
「クライアントに渡すということは、社会に渡すということと同じです。つまり自分のやった作品というものが、社会において評価し直されるわけですね。(中略)建築の仕事は、建築「作品」なんていう甘い性格のものではなくなってくるのですよ。だってもともとが「資本」でしょう?それを組み立てて新しい目的のものにつくっていく。」(承前)
この言葉を仮にイメージで描くとすれば、作品Aと、作品が反転するレンズ「1」と、そのレンズを通して逆立した作品A’という関係である。その作品は資本をもとにして単に組み立てられた結果であるにもかかわらず、その資本を相対化する別の目的をすでに伴っていると村野は主張しているのである。このような言葉を読み進めるうちに、読者はおよそこれまでの村野に対するイメージとは対極的な一つのキーワードを思い浮かべるだろう。それは、彼が「革命」が可能であることを信じて疑わなかったということである。もちろんその「革命」とは、全体的で急進的な社会変革ではない。むしろ個別の作業を通じて、なにがしかの反転的な効果を、たえず人や社会になげかけていくことである。そして私たちは村野の各々の作業の中に、事実として、別の「社会」を建築によって作り上げてきたことを思い出すにいたる。
そのような理解の結果として、筆者が、広島平和記念聖堂や、千代田生命本社ビルや、遺作となった谷村美術館など村野の多くの作品の中に見いだすその特徴とは、「根源的な社会のイメージをともなった未来」、あるいは「未来への過ぎ去った憧憬」とでもいうべき特殊な世界の空間であった。いずれにせよ、ここにありながら、ここにない不思議な時空を伴った作品ばかりなのである。
以上のようなヒントを抱えつつ、この大部の著作にあたることは、刺激的である。
そうなのだ、彼は自作を語る時さえ実に批評的なのである。まるで社会が自然に組み立てたというかのごとく一見奥ゆかしく、しかし冷徹だ。と同時に建築生産から芸術側面にわたるまでの、容赦なく、詳細で鋭い現状分析が行なわれる。つまり彼にとって作品と社会とはまずは同一の平面において語られなければならない。しかしその結果として彼の作品や人を語る言葉にはその批評から生き生きとしたエーテルが立ちのぼっているのである。現今に決定的に欠けているのは以上のような双方に対する言葉の訓練である。
さて今回の復刊にあたっては、実は村野と編集者が望んで果たせなかったいくつかの宿題が達成されていることもうれしいことだ。そのひとつめは彼の卒業論文「都市建築論」大正7年が収録されたことである。一読して、彼がこの卒業論文から始まったことを知る。大正の中期は、例えば中心と周辺の格差、流入する貧民のための住宅問題など、明治期の建築界では考えられもしなかった新たな問題が噴出した時代であった。それに対処しようとする建築的試みが行政から個人、あるいは体制側からカウンター側に至るまで現れた時期であった。現在とその状況を重ねあわせることも可能だろう。「都市」とはそれらすべてを含む問題群の総称だったのである。多少その時代の知識を持つ者であれば、若き村野がそれらに対して真正面から格闘しようとしたことを実感するだろう。そしてこの卒業論文は個人的な宣言とでもいうべき産物であり、解決としての結論が記されているわけではない。その意味で卒業論文は彼にとってはその後の生涯をかけての実践のための契り、むしろ入門であったように思われる。
そしてもう一つは、大部になることを恐れた村野が学生のためにそのエッセンスを凝縮したより軽量な書籍の出版を願ったことである。今回それは「SD選書」というぴったりの形式で『様式の上にあれ』としてまとめられた。社会と建築との関わりを吟味し直そうと思う野望を持つ者は大部にあたればよい。その手さばきは未だに有効である。そして建築というアクティビティーを支えている強靭な筋肉に直接触れたい人はSD選書を選べばよい。これは建築の「資本論」である。
初出(書評「1パーセントについて」・『村野藤吾著作集』SD選書『様式の上にあれ』・『SD2008』2008年12月10日)