2005年 12月 26日 (月)
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萩おそるべし・菊竹清訓が天才と言われていた時期を実感・2005年12月26日 |
(後半追記しました。28日)
今日はあいかわらずよいパタンを探しに和風系住居の見学を萩にて行っていたのですが、そういえば萩には菊竹清訓(江戸東京博を設計した人、あれはそれほどすごくないですね)がすごかったといわれている頃の作品があったかもとおもいつつ萩市民会館(1968年竣工)にノーアポで見学。お願いしてステージの中まで見せてもらった。
むむむこれなら建築家の存在を認めないわけにはいかない空前の空間づくりでワークショップメンバーかたずを呑んで見学。
なぜここに昔から行きたかったかとかは後日追記するとしてまずはごらんアレ

全くすごさを感じさせない押さえられた表現の外観

しかし平面図を見るとなんかこう尋常でない雰囲気が漂う

まずは小ホール内部

次は小ホールから独特の星座的照明を(わざわざスイッチを入れてもらって確認)

小ホール横の空間、非凡ですね。全然古くない。

大ホール内部です。たまげました。素人も玄人もたまげていました。確かにこの頃の菊竹さんの作品は恐ろしいぐらいだということが実感できてとても勉強になりました。いつか再評価するぞ。
なぜここに来たかったかと言うと、70年代に活躍した建築評論家長谷川堯さんが、有名になった大正建築の再評価(建築の中世とかメスの思考とか)をこえて、現代建築の初評論に挑戦したのが菊竹論だったのですね。僕はこの菊竹論(すごい晦渋な題なので忘れてしまった)、読んだときに、長谷川の建築を語ることの豊穣なバックグラウンドに驚いたものでした。ウーコレは僕にはできないなーと。
その時長谷川は、この市民会館の照明について驚きながらも、これはきっと菊竹が体験した世界大戦中の久留米(?)の夜の空襲の情景だったのではないかと言う推測をしています。何かこう全くアテズッポな感じなのですが、その迫真の筆致にウムムムそうかもと思ってしまうわけでした。で言ってみたところ、確かにそんな感じがしたかも。
その後長谷川さんは、現代建築批評を比較的早期に切り上げて(飽きたのでしょうし、体力が持たなかったのかもしれないし)寡作になってしまいました。菊竹論は長谷川堯の最高傑作だと思っています。正確な題名を教えられなくてごめんなさい。
2005年 12月 25日 (日)
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ワークショップ第1回め・山口情報芸術センターにて・2005年12月25−7日 |
山口情報芸術センターにて、一連のパタン・ランゲージ新解釈(というか真解釈?)によるワークショップを行います。今回はすでに詳細が決まっており、同センターに所属する一般から公募したダンサーたち自身によるダンスシアターの設計をおこなおうとするもの。要は空間からダンスのコンテンツに働きかけようと言うものですね。おもしろいです!読んでくれた人は元(今でもメンバーなのかな)ダムタイプのリッチーさん(僕はそう呼んでいる)。
1月後半から2月はじめにかけて本格的ワークショップを行うのですが、その前哨戦で中谷ゼミナールのアシスタントも同行して出かけてきます。どんな出会いがあるか楽しみです。何はともあれまずは山口近辺の名建築を見学してパタン収集となります。山口って何がおいしいんだろう。
うわっ、今ネットサーフィンしていたら偶然にダンサーたちのリスト発見!! ちょっと気合い入れようとおもった。
これまでの関連ワークショップはこちら
●mAAN・上海ワークショップにユニットマスター参加(2004)
●四谷アート・ステュディウムにてパタン・ランゲージを再活用した「詩人の家」ワークショップ(2005)1、2
2005年 12月 22日 (木)
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難波和彦氏が藤森/中谷対談を攻撃・論文は反論されてこそなんぼのモン・雑誌『10+1』41号 |
ある巨大な掲示板では、意識的に反論を誘うものを「釣り」といいます。
いや、それとは別に関係ないのですが、東京大学教授の難波和彦氏が、氏の日記で雑誌『10+1』No.41号に所収の藤森・中谷対談のサステイナブル・デザインの見解について強い感情的否定をあらわされています(2005年12月20日の項)。論文は反論されてなんぼのモン。無視されることが多い僕にはとてもありがたいことです。
ただ、惜しむらくは明確な反論が描かれていないことなのです。そこでまたどこかで難波先生にお会いすることを期待しつつ、一つサステイナブル・デザインの将来を論じ合えればなあと思います。そのためにもまず術後の完治をお祈り申し上げます。
いや、とても大事なことですからね。こちらは実は難波先生を介して委託された小論文がもととなった『セヴェラルネス』での蓄積をうまく提示しつつ、積極的な議論ができればと思います。最近雑誌におもしろい課題もないし。昔は伝統論争とか結構面白かったのです。
余談ですが、そのころ「不安感論争」というのがありまして、一人評論家が葬られてしまったのですが(僕はこれはえん罪だと思います)、そのときに当時早稲田大学の建築史の先生だった渡邉保忠先生が、確か「不安感論争の背景」という論文を建築文化に書いていて、これがまたとてつもなく恐ろしい評論でした。不安感論争をネタにして、設計者のプロフェッションの根本的脆弱さを徹底的にたたく評論でした(姉歯問題を予言していると言うか…)。僕はこれを読んで建築家という名前は語らない方がいいかもと思ったりもしたぐらいです。今は歴史工学家です。
雑誌『10+1』の方もよろしくご確認ください。
2005年 12月 17日 (土)
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リチャード・オークスについて・拙著『セヴェラルネス 事物連鎖と人間』の先行版を手にして・2005年12月15日 |
甲羅ホテルのブログにて広告されていたように、岡崎乾二郎+松浦寿夫による『絵画の準備を』書籍版記念講演会に飛び入り参加しました。漁父の利を得るには、それらしく出しゃばりすぎず、つぼを押さえた振る舞いが必要です。かなり注意して発言させていただきました。そのせいあってか先行発売分の『セヴェラルネス 事物連鎖と人間』も、滞りなく順調に購入していただきました。ありがとうございました。
帰ってきてから、この12年ぶりの単著を眺めました。そのときにあるインディアンのことを鮮明に思い出したのでそれについて書いておきたいと思います。

右にいるのがその「インディアン」リチャード・オークスです。白人に射殺され、30歳で死亡。
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2005年 12月 05日 (月)
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2回目の徹夜・甲羅ホテル(BankArt 1929)内にて・2005年12月5日 |
今、横浜の甲羅ホテルにつきました。今日は幻庵論と住宅写真論を書く予定です。
向かいの部屋にはおかざきけんじろうさんがいますが
今日は仕事モードとのことで、
これで安心して僕も仕事ができます。
それではよい夜をお過ごしください。

そういえば市川智子さんの小冊子が甲羅ホテルの縁側においてあった。
「イヴォンヌの胸」
朝にもらった。

市川さん、中折れの鉛筆画、何か特別な印刷でしょうか。鉛筆がよく出ているんですが。よろしかったら教えてください。
2005年 12月 03日 (土)
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公開研究会に参加・(なぜか)「男女共同参画社会の実現に向けて」日本建築学会・2005年12月2日 |
いやなんか緊張しました。いろいろとあってこんな公開シンポジウムに参加。なみいる女性闘志の当て馬としてもう馬になりきりました。
あまり考えたことなかったのですが、当方の家族も共働きなもので、いろいろと苦労悩みはあります。そこはもう当て馬らしく、おもしろおかしく、たまにけしかけたりもして自分のケースを報告しました。
結果として男女共同参画社会の実現とは単に職場における男女の比率が僅差になることではないということがわかったような気がします。この問題の場合、「男女」という対立項は実は偽の命題であり、本当の命題は
子を育てるということが、経済活動に根源的に対立していること。
つまり子育てによる家族の成員の経済活動の中断と、継続的に何ものかを均質的に生産し続けようとする資本運動のあり方とのギャップが問題なのだ!資本運動を子育てによって遅延せよ!
などと参加された「男女」の方々に叫んだのですが(うそ)、わかっていただけたかしら。