アセテート編集者日記

アセテート編集者による日記です。
編集作業の実況中継のほか、編集者のつぶやきを掲載しています。

*editorNの日々のつぶやきはhttp://twitter.com/rheninに移行しました。ここではきちんと本の制作進行をお伝えします。また書評等も掲載予定です(091018)。

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2011年 08月 09日 (火曜日)

読み合わせ合宿、二日目。

2泊3日の合宿2日目です。

朝9時から、昨日の続きのブラッシュアップ作業を行ないました。

 

原文はドイツ語なので、日本語と言葉の表現に違いがあります。それを毎回どう表記したら最もよく表せるか、最高の状態を目指してブラッシュアップしています。今日はホワイトボードなども使って、熱い議論が繰りひろげられました。

現在、19編の読み合わせが終了。

後半の章になるにつれ、翻訳者の加藤さんがロースの文章に慣れてきたようです。編集のスピードもどんどん上がっています。

明日は最終日です。

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読み合わせ合宿、初日。

こんばんは。

ご報告しました通り、先日、全翻訳を終えました。

それからまもなく、本日より訳文ブラッシュアップのために2泊3日の合宿入りです。出版に向けより一層質を高めるべく、この合宿ですべての論稿を見直します。

本日は9編の読み合わせを行いました。

ここで読み合わせを行っております。

 

そして、本日の読み合わせの様子。

よりよい本づくりのために、明日も。

また、経過ご報告致します。

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2011年 08月 04日 (木曜日)

翻訳第一稿確定しました

本日、『虚空に吼える』第14回翻訳会議が行われました。いままで会議の内容をみなさまにお伝えすることはありませんでしたが、今回すべての論稿の翻訳がひと通り完了いたしましたので、ご報告させていただきます。

こちらが翻訳者の加藤淳さんです。最近ではロースがのりうつったように、スムーズな訳文を提供してくださいます。


それを鈴木了二先生、中谷礼仁先生をはじめとするメンバー全員で読み合わせし、訳文の向上を図っています。
↓ロースのあとがきを読む鈴木先生


来週には第一稿をさらにブラッシュアップする目的で合宿を開きます。合宿についてはまた次回。

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2011年 07月 25日 (月曜日)

年内刊行に向けて

ご無沙汰しております。

一昨年から始まったこのアドルフ・ロース著作集出版プロジェクトも、ようやく第一巻の年内刊行に向け、具体的な作業に入りつつあります。
前回の翻訳検討会議で、ほぼ一通りの翻訳チェックを終え、次月には合宿にてすべてもう一度ブラッシュアップをかける予定です。
訳注作業も佳境に入っており、みなさまにお届けできるのを楽しみにしております。

今後も具体的なデザインやDTP作業の進行状況など、随時更新していく予定ですので、ぜひチェックしてみてください。

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2010年 11月 26日 (金曜日)

12月4日土曜日に大阪に行きます

てっぱん、いいですねー。
さて広義な意味でのエディトリアルデザイナーの秋山伸さんに呼ばれて、大阪の会場に馳せ参じます。
12月4日午後8時からです。
どうぞよろしくお願いします。
展覧会の詳細は以下リンク先参照ください。
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- editorN -

2010年 09月 08日 (水曜日)

早稲田大学中谷研究室 アドルフ・ロースゼミ ウィーン調査中

アドルフ・ロース著作集1『虚空に吼える』刊行遅延に関しましては、諸関係にご迷惑をおかけしています。
しっかり活動中で、当時の状況を可能な限り復元できる訳注を書くべく、学生たちがウィーンに旅たちました。
なお現地では、建築家の三谷克人様にお世話になっています。
三谷さんのブログはこちら

早稲田大学 アドルフ・ロースゼミのウィーン行状記はこちらです。

- editorN -

2010年 06月 29日 (火曜日)

ニコニコ通信の電子ブック販売開始しました

acetate003『ニコニコ通信』の電子ブックでの販売を開始しました。ボイジャー社の「理想書店」から購入することができます。iPhone上の理想書店からは、iPhone版の購入もできます。

理想書店
http://www.dotbook.jp/store/

- editorK -

2010年 03月 25日 (木曜日)

心打つ、爽やかな廃刊報告 『彷書月刊』

急に思い出したので、掲載します。いろいろご苦労はあったと思いますが、大変さわやかな読後感のある廃刊報告です。
(以下引用)
『彷書月刊』は1985年創刊以来[本好きの情報探求誌]として刊行を続けてまいりましたが、来年2010年10月号、通刊300号をもって休刊することとなりました。
現今の不況にその理由を求めるわけではありませんが、誌上目録・広告収入や定期購読者数の減少に加え、編集・発行人・田村治芳の療養などにより、現体制での刊行維持は困難であるとの結論に至りました。これより一年余、明るく、楽しく、休刊に向かうべく、読者、ご執筆者、古書店の皆様には、今後とものお力添えをお願い申し上げます。まずは書面をもちまして、ご報告といたします。
彷徨舎
代表取締役 田村治芳
編集部一同
(引用終わり)
2009年10月号より
残り少ない定期購読申し込みはこちらから→『彷書月刊』

一回書評をいただいて以来、逆に送り続けていただきました。これからも愛読いたします。僅かばかりの期間ですが定期購読者として加えさせていただくことにしました。おつかれさまです。

- editorN -

2010年 03月 09日 (火曜日)

備忘録:TAU(Trans Architecture and Urban)について

TAU解説ならびに目次
●出版データ;
発行所(株)商店建築社 TAU編集室 発行者−村上末吉 編集者−石川喬司
定価−480円 年間購読料−5,500円 取次店−東販、日販、中央社、栗田雑誌、大阪屋、誠光堂 印刷−小堀印刷製版(株)、関根印刷(株)、(株)三共グラビヤ 製本−和田製本工業(株) 用紙−中圧(株) 題字デザイン=高山文孝+立石雅夫 表紙デザイン=遺留品研究所 目次&本文レイアウト=立石雅夫+中村章光(創刊号より、なお後半の号ではデザイン担当は木村道弘になる)
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2010年 02月 22日 (月曜日)

書評「1パーセントについて」『村野藤吾著作集』著作集

書評を一つ公開させていただきます。村野藤吾が発した有名な1パーセントの領分についての、新見解も含まれています。

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1パーセントについて 『村野藤吾著作集』

中谷礼仁

この書物はある編集者の求めに応じて、建築家・故村野藤吾が十年にわたる検討と逡巡の後におくり放った爆弾である。
平成三年に公刊されたが版元の閉鎖により長い間入手困難であった。しかし今回の復刊によって、むしろ今こそ、その真の価値が多くの人々に開示されることになるだろう。

風化は、人の立場を否応なく変える。特に職人的手技を持った巨匠であれば、そこにはなおさら全人的な完全さが加えられ、逆に生前の、血のかよう人間としての苦渋や格闘の痕跡は波に現れるかのごとく消え去っていく。しかし村野はこの書物を公にすることで、それを許さなかったと感じる。
例えば村野の言として「99%は施主、1%は自分」という逸話が伝えられている。その本来の意はこの書物にもっとも正確な形で収録されている。短い書評ではあるが紹介せずにはおれない。

「私がよくいう言葉ですが、九九パーセントのところまで、それでみんな出てくる。(九九パーセントまでは建築家は謙虚に後に引いて聞く)。そこまでは理屈でいえるわけです。つまり二二が四のように割り切れることなわけです。何たって社会は「数」ですから、みんな「数」にかかわっているわけだから割り切れる。「数」の中へ入ったら、弁証法というものがあるわけです。それからいろんな問題、矛盾だとかの問題があって社会は動いていく。ところが(九九パーセント引いても)一パーセントは残る。それが村野です。私はいつもそういうんです村野自身でさえどうすることもできない一パーセントなんです、これは。いくら理屈をいったって村野に頼んだ以上、村野をどうすることもできないでしょう?」「社会的芸術としての建築をつくるために」(強調部は引用者による)

後半が重要である。「一パーセント」は操作可能な彼の芸術的手腕のことをさしているのではないからだ。「村野自身でさえどうすることもできない」村野がいることをさしているのだ。つまりこの1パーセントとしての「村野」は、彼がかかわる建設行為全体に対する他者的な立場が、彼の中に存在することを指摘している。これは、彼の建設行為全体に対する絶対批評的な点、「1」なのである。
でなければ、その後に続く「その一パーセントが、ときによっては建築の全体を支配することができるかもしれない」という言葉は、単なる「作家」のうぬぼれにすぎなくなってしまう。それは事実とは違う。言葉はさらに続く。その「1」によって、「建築はもう一つの新しい局面を迎える」と。

「クライアントに渡すということは、社会に渡すということと同じです。つまり自分のやった作品というものが、社会において評価し直されるわけですね。(中略)建築の仕事は、建築「作品」なんていう甘い性格のものではなくなってくるのですよ。だってもともとが「資本」でしょう?それを組み立てて新しい目的のものにつくっていく。」(承前)

この言葉を仮にイメージで描くとすれば、作品Aと、作品が反転するレンズ「1」と、そのレンズを通して逆立した作品A’という関係である。その作品は資本をもとにして単に組み立てられた結果であるにもかかわらず、その資本を相対化する別の目的をすでに伴っていると村野は主張しているのである。このような言葉を読み進めるうちに、読者はおよそこれまでの村野に対するイメージとは対極的な一つのキーワードを思い浮かべるだろう。それは、彼が「革命」が可能であることを信じて疑わなかったということである。もちろんその「革命」とは、全体的で急進的な社会変革ではない。むしろ個別の作業を通じて、なにがしかの反転的な効果を、たえず人や社会になげかけていくことである。そして私たちは村野の各々の作業の中に、事実として、別の「社会」を建築によって作り上げてきたことを思い出すにいたる。

そのような理解の結果として、筆者が、広島平和記念聖堂や、千代田生命本社ビルや、遺作となった谷村美術館など村野の多くの作品の中に見いだすその特徴とは、「根源的な社会のイメージをともなった未来」、あるいは「未来への過ぎ去った憧憬」とでもいうべき特殊な世界の空間であった。いずれにせよ、ここにありながら、ここにない不思議な時空を伴った作品ばかりなのである。
以上のようなヒントを抱えつつ、この大部の著作にあたることは、刺激的である。
そうなのだ、彼は自作を語る時さえ実に批評的なのである。まるで社会が自然に組み立てたというかのごとく一見奥ゆかしく、しかし冷徹だ。と同時に建築生産から芸術側面にわたるまでの、容赦なく、詳細で鋭い現状分析が行なわれる。つまり彼にとって作品と社会とはまずは同一の平面において語られなければならない。しかしその結果として彼の作品や人を語る言葉にはその批評から生き生きとしたエーテルが立ちのぼっているのである。現今に決定的に欠けているのは以上のような双方に対する言葉の訓練である。

さて今回の復刊にあたっては、実は村野と編集者が望んで果たせなかったいくつかの宿題が達成されていることもうれしいことだ。そのひとつめは彼の卒業論文「都市建築論」大正7年が収録されたことである。一読して、彼がこの卒業論文から始まったことを知る。大正の中期は、例えば中心と周辺の格差、流入する貧民のための住宅問題など、明治期の建築界では考えられもしなかった新たな問題が噴出した時代であった。それに対処しようとする建築的試みが行政から個人、あるいは体制側からカウンター側に至るまで現れた時期であった。現在とその状況を重ねあわせることも可能だろう。「都市」とはそれらすべてを含む問題群の総称だったのである。多少その時代の知識を持つ者であれば、若き村野がそれらに対して真正面から格闘しようとしたことを実感するだろう。そしてこの卒業論文は個人的な宣言とでもいうべき産物であり、解決としての結論が記されているわけではない。その意味で卒業論文は彼にとってはその後の生涯をかけての実践のための契り、むしろ入門であったように思われる。
そしてもう一つは、大部になることを恐れた村野が学生のためにそのエッセンスを凝縮したより軽量な書籍の出版を願ったことである。今回それは「SD選書」というぴったりの形式で『様式の上にあれ』としてまとめられた。社会と建築との関わりを吟味し直そうと思う野望を持つ者は大部にあたればよい。その手さばきは未だに有効である。そして建築というアクティビティーを支えている強靭な筋肉に直接触れたい人はSD選書を選べばよい。これは建築の「資本論」である。

初出(書評「1パーセントについて」・『村野藤吾著作集』SD選書『様式の上にあれ』・『SD2008』2008年12月10日)

- editorN -
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